とある森の東側に「みどりの集会所」と呼ばれる広場がありました。
木々に囲まれたその場所には、毎日いろいろな動物たちがやってきて、仕事や暮らしの相談をするのです。
ある朝、その集会所に青みがかった羽を持つ一羽の鳥が姿を見せました。
遠い森から移ってきたばかりだというこの鳥は、ものごとをつぶさに観察するくせがあり、すばやく役に立つアイデアを思いつくため、少しずつ周りから頼りにされ始めました。
けれど鳥本人は「とんでもない、ぼくなんて」と表立ったことは言わず、ただ皆の話を聞いて助言をする程度です。
「なんだか話しやすいよね、この鳥さん。」
「そうだなあ、言いにくいことでも冷静に聞いてくれる。」
そんな声が集会所でこぼれるようになりました。
無理に鳥をほめそやす動物はいませんが、気がつけば、いろいろな相談事がいつのまにかその鳥のところに集まっているのです。
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この集会所には前から出入りしていた犬がいました。
やや落ち着きがなく、普段から「ぼくはもっとできるんだ!」と大きなことを言うわりに、任された仕事を最後まできちんとやり遂げられないことが多いのです。
それなのに、うまくいかないと途端に肩を落とし、「やっぱりぼくは何の価値もないんだ…」と沈んでしまう。そのたびに周りの動物たちは何と言って励ませばいいのか、手を焼いていました。
「家ではずいぶん偉そうにしているって話だよ。だから余計、外で失敗すると落ちこむんじゃない?」
「そうかもしれない。でも、こっちとしては振り回されるばっかりで……。」
誰ともなしに交わされるささやき。
集会所の空気は、犬がくるとどことなくピリピリしたものになるのでした。
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そんな犬は、ひょんなことから青い鳥が森の外れに借りているという「小さな工房」の噂を耳にしました。
仕事の合間に、鳥がそこで自分なりの工夫を試しているらしい——木の実や薬草を使った新しい調合を考えたり、使いやすい道具を作ったりしているのだとか。
「へぇ...すごいじゃないですか! ねえ、ぼくもやってみようかな。やり方、全部教えてくださいよ。あ、もちろんそっくり真似してもいいですよね?」
犬は意気込んで鳥を質問攻めにしますが、鳥は控えめに数えるほどのポイントだけ話します。
どうも犬の「すぐにパクる」勢いに、少し引いているようです。
集会所のみんなも、「また始まったか」とあきれ半分で眺めていました。
結局、犬は工房を借りてみたものの、必要な準備を途中で放り出したり、テキトーに取り組んで失敗したり。はたまた、普段の仕事をそっちのけにしてしまったり。
そして何かがうまくいかないと気分が沈み込み、「もうダメだ、ぼくには才能がないんだ…」と自分の殻にこもってしまいました。
それ以上に周囲を困らせたのは、失敗を指摘されるときまって不機嫌になり、露骨に投げやりな態度をとることでした。
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ある日、犬は集会所の会議で、自分がまるで「工房の工夫を編み出した張本人」であるかのように話しはじめました。
しかも、青い鳥のやり方をそっくり真似したという事実はすっかり隠して、いかにも自分がリードしているような口ぶり。
「ぼくって、こういうアイデアを思いつくのは得意なんですよね。そりゃ多少ミスはありましたけど、大きな視点で見れば成功みたいなものです!」
周りが「あれ?」と違和感を覚える中で、当の犬は得意げに語り続けます。
鳥は何も言わず、静かに聞いていましたが、よく見ればその胸の奥には小さなため息を抱えているのがわかるようでした。
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そんな日々が続き、犬への不信感がじわじわ広がり始めた頃。
ある朝、犬がみどりの集会所に現れなくなりました。
何日たっても音沙汰なし。代わりにこんな噂が流れてきました。
「……どうやら犬は、ここを出ていったらしい。」
「長く一緒にいた村長さんへの義理も果たさずに、急に辞めたって。」
その話を聞いた動物たちはほとんどが「そりゃあ…正直、助かったかもね」と肩をすくめました。
次々とミスや失礼な行動を繰り返し、周囲を振り回していた犬がいなくなって、ようやく心穏やかに仕事ができる——皆の気持ちは、ほっとした様子がありありと感じられます。
誰かが「でも、本人は大丈夫かな」とつぶやいても、もはや心から心配する声はあがりませんでした。
それくらい、みんながもう犬にかかわる疲れに耐えかねていたのです。
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犬が去ったあと、青い鳥は集会所の隅で他の動物たちに呼びかけました。
「仕事の整理をもう一度してみましょう。みんながそれぞれ動きやすいように考えたいんです。…それで、良ければお手伝いさせてください。」
動物たちはうなずきながら、「あの犬がいない今、この鳥の落ち着きが大きな支えになるかもしれない」と感じているようです。
けれど、その中にどこか安堵の空気が混ざりこんでいるのは明らかでした。
リスの一匹が小声でつぶやきました。
「正直、戻ってこられても困るよね…。これだけみんな振り回されたんだもの。」
青い鳥は特に何も言いませんでしたが、返事をしないまま視線をそらす様子は、それ自体が「まったく同感です」という無言の合図のようにも見えました。
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夕刻、集会所の扉が閉まりかけたころ、タヌキがふと鳥に尋ねました。
「あなたはずっと犬に礼を失されて、やきもきしなかったの?何も言い返したりしなくて大丈夫だったのかな。」
鳥は少し息をつき、考えるように窓の外を見やりました。
そして沈黙のあと、こう静かに答えます。
「…いろいろ言いたいことはあったけれど、言っても変わらなかったと思う。むしろ、もっと傷つけられたかもしれないし、周りももっと疲弊したかも。もう、あの犬に期待する気持ちもないし……これで良かった気がします。」
その言葉には、どこかしら解放感が漂っていました。
決して優しい笑みでもなく、ただ淡々と、自分の中で折り合いをつけたような声音。
もう「いつかまた会えたら」なんて望んでいない、そんな雰囲気がひしひしと伝わるようでした。
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こうして犬が去ったあと、みどりの集会所にはほんのわずかな静寂と、そこに混ざった安堵の息づかいが広がりました。
もうあの落ち着かない足音に悩まされることも、誰かが不機嫌になるたびに空気を読む必要もありません。
青い鳥は変わらずそこにいて、ほかの動物たちと協力し合って、森の生活をよりよくするためにアイデアを出し合っています。
誰ひとりとして「犬が戻ってきてほしい」とは思いませんでした。
あれほど大変な思いをさせられたのですから、当然のことかもしれません。
中には「彼が改心するかも」と口にした動物もいましたが、もうその言葉に前向きに同調する者は見当たりませんでした。
高い木の上で風にそよぐ葉が、さやさやと音を立てます。
あの犬が去った今、森には少し冷たさを含んだ、凛とした空気が流れていました。
青い鳥はその風を背に受けながら、黙々と次の準備に取りかかります。誰からも騒ぎ立てられず、誰も振り回さない、これが本来の姿なのだと、動物たちはどこか納得したような面持ちでした。
こうして、みどりの集会所の日常は、ゆっくりと、けれど確かに前へ進み始めたのです。
もうあの犬の足音が聞こえることはないでしょうし、みんなもそれを望んではいません。
森の空はひんやりと澄みきり、深い緑の木立には、新しい季節の匂いが入り込んでいました。